방우회·독립운동

이장춘 2012. 1. 27. 02:18

 

 

 

 

국사편찬위원회 한국사데이터베이스에

「대일 항쟁기 단파방송사건」이라는

글이 있습니다. 요즈음은  항일 단파방송 연락운동이라고 합니다.

서울 지방검찰청에 있는 일제강점기의 서류를  데이터베이스화한

것으로 항일 단파방송 연락운동의 일부에 해당하는 지료이기는 해도

귀중한 독립운동사 사료입니다. 노력을 기울여 주신 국사 편찬위원회

당국에 고마운 말씀을 올리며 간행사와 함께 그 사건으로 옥사한

이근창(이고길)선생님에 대한 내용 일부를 옮깁니다.

 

 

옥사자  이근창 (이고길)은 누구인가?

 

내용보기 클릭 -> http://blog.daum.net/jc21th/17780942

 

 

방우회 이사 이장춘 춘하추동방송  

 

 

 

대일 항쟁기 단파방송사건, 국사 편찬위원회 데이터 베이스 원문

 

 

간   행   사

 

우리나라는 近代에 이르러 國力이 약화되면서

 이웃한 帝國主義 日本의 侵略을 받아 民族的 苦難을 겪어야 했다.

國權이 위태로워지자 우리의 先祖들은 다각적으로 國權守護鬪爭을 전개하였다.

日帝侵略者들을 武力으로 驅逐하기 위한 義兵戰爭을 일으켰으며 한편 國力을 키워

 그들의 侵略을 막아보려는 救國啓蒙運動도 전개하였다. 이에 日帝는 武力으로 義兵을

진압하였으며 1910년 대한제국을 武力强占하여 대일항쟁가들을 檢擧·投獄하고 탄압하였다.

 그럼에도 불구하고 우리의 先烈들은 굽히지 않고 祖國光復을 위해 계속 개인적·집단적으로,

무력적·평화적으로 대일항쟁을 전개했으며, 그 결과 國權을 상실한 지 35年만에

드디어 聯合國側의 勝利와 日帝의 敗亡을 계기로 光復을 맞이하게 되었다.

 

 

先烈들이 겪은 苦楚와 抗爭史實, 그리고 日帝의 彈壓相을

 알아볼 수 있는 대일항쟁시기의 항쟁인들에 대한 裁判記錄을 정리하여

刊行하는 일은 의미가 있다고 생각되었다. 이들 기록은 대일항쟁인들의 항쟁方略上의

 필요에서, 日帝側의 植民地統治政策上의 필요에 의해서 眞實이 충분히 밝혀지지 않은 限界性이

있는 자료일 것이다. 그러나 硏究者의 노력에 의해 그 眞實이 밝혀지리라고 생각하고 우리

委員會는 韓民族대일항쟁의 연구·편찬을 위한 資料集으로서 서울地方檢察廳이

보관하여 오던 대일항쟁시기의 항쟁關係 裁判記錄을 번역 간행하게 되었다.

 

 

이 資料는 訊問 및 裁判의 현장에서 당시에 쓰이던

 日本語로써 기록된 것이고, 더구나 速筆로 쓰여진 것이기 때문에

原記錄 가운데 읽기에 어려운 점이 있고, 때로는 現代語法에 맞지 않는 문장도 있어

 어려움이 많았으나, 原文에 충실하도록 노력하였다. 이번에 간행한 것은 대일항쟁시기

 단파방송사건에 관한 訊問調書 및 裁判記錄으로 우리 委員會가 서울地方檢察廳

으로부터 移管받은 것으로 文書 自體에 缺本이 있어 자료로서 완전하지

못하다고 생각되었으나 그대로 정리·간행하였다. 이 資料集은

國史編纂委員會의 『韓民族獨立運動史資料集』

제⛠집이다.

 

 

이 책에 수록된 내용은 대일항쟁시기 단파방송사건으로

韓振東(방송기수, 26세), 陸鍾寬(농업, 50세), 朴鍍信(방송기술자, 26세),

金弼相(방송견습생, 19세), 趙國煥(방송견습생, 19세), 張英睦(방송견습생, 19세),

 李昌得(방송기술자, 30세), 洪瑾鎬(방송기술자, 23세), 廉準模(방송기수, 27세), 朴塤祥

(방송기술자, 26세), 宋龍雲(방송기술자, 36세), 洪鎭奭(방송기술자, 25세), 李根昌

(방송기술자, 28세), 盧鉉重(방송기술자, 24세)은 단파수신기를 제작하고 해외의

항쟁상황과 연합군의 전황 등을 청취하여 주변인물에게 알려주었다가,

검거되어 옥고를 치렀다. 대일항쟁시기의 방송인들의 정세 인식과

 항일의식, 통제와 탄압 실상을 알 수 있는 자료이다.

 

 

우리 國史編纂委員會는 1987년 말에 李鍾贊議員을

비롯한 여러분들의 도움으로 史料蒐集 및 保存 등에 관한 法律을

 國會에서 議員立法으로 마련하게 되었다. 그리하여 우리 國史編纂委員會가

귀중한 자료들을 수집·보존하는데 획기적 전환을 이루게 되었다. 이러한 法制的

 조치가 이루어지지 않았던 시기에 1,199책에 달하는 귀중한 항쟁기록을 우리 委員會로

 移管토록 도와주신 朴世直 前 總務處長官, 그리고 이 資料를 제공해 주신 李鍾南

前 서울地方檢察廳 檢事長, 李鍾日 前 서울地方檢察事務局長,그리고 이 資料集이

나올 수 있도록 물심양면으로 도와주신 여러분들께 감사드리는 바이다.

아울러 난해한 기록을 끝까지 정성껏 정리해서 간행하는데 도움을

주신 曺永鎭, 南杞燮, 申祚鉉氏 등 여러분들께도

치하를 드리면서 간행사를 갈음하려 한다.

 

2007년 12월 15일

 

國史編纂委員會 委員長 柳 永 烈

 

 

[출처 : 국사편찬위원회 한국사데이터베이스 http://db.history.go.kr]

 

   

 

松山高吉 訊問調書

 

被疑者 松山高吉

 

右陸軍刑法違反被疑事件ニ付昭和十八年七月五日

京畿道警察部ニ於テ司法警察吏朝鮮總督府京畿道巡査南昇熙ヲ

立會セシメ被疑者ニ對シ訊問スルコト左ノ如シ。

 

 問 本籍、 住居、 身分、 職業、 氏名、 年齡ハ如何。

答 本籍 京畿道楊州郡廣積面遇古里七六番地

住居 京城府城北町一七七番地ノ二五號

 

職業 朝鮮放送協會技術員

氏名 李根昌コト松山高吉

 

問 爵位、 勳章、 記章ヲ有シ年金、

恩給ヲ受ケ又ハ公務員ニアラサルヤ。

答 該當者ニ非ラス。

 

問 是迄刑事處分、 起訴猶豫又ハ訓誡放免ヲ受ケタルコトナキヤ。

答 アリマセヌ。

 

玆ニ於テ被疑事件ヲ告ケ其事件ニ付陳述スヘキコトアリヤ否ヲ

 

問ヒタルニ被疑者ハ左ノ如ク答ヘタリ。

答 敵國側ノ謀略放送ヲ短波受信機テ聽取シテ之ヲ他人ニ語ッタ事カアリマス。

問 敎育ノ程度ハ如何。

答 普通學校程度ノ敎育ヲ受ケ、 更ニ朝鮮無線工學講習會ヲ卒業シマシタ。

問 兵役關係ハ如何。

答 ナシ。

問 宗敎ハ何カ。

答 信仰シテ居リマセヌ。

問 資産アリヤ。

答 妻名義テ動不動産合セテ約四千圓位アルカ負債カ約二千圓アリマス。

問 家庭及生活狀況ハ如何。

答 私ノ實家ハ本籍地タル京畿道楊州郡廣積面遇古里ノ番地丈ケカ違フ一一六番地

ニ父松山弘洙(當五十六年)、 母娘(當五十五年)カ小作農ヲシテ生活シテ居リ、

弟根春(當二十五年)ハ目下西大門刑務所テ破廉罪テ處分ヲ受ケテ服役中

ト云フカ詳テアリマセヌ。 私ハ京城府城北町一七七番地ノ二十五號

ニ於テ妻容姫(當二十三年)、 長男輝雄(當四年)、 妻ノ妹李德姫(當十八年)

ノ四人暮シテスカ私ハ朝鮮放送協會ニ勤務シテ月收六十二圓、

李德姫ハ三中井ノ店員テ月收三十圓、 其外ニ下宿人ヲ二人置イテ居ルシ、

 住居カ自分ノモノテスカラトウヤラ生活ニハ困ッテ居リマセヌ。

 

問 オ前ノ經歷ハ。

 

答 私ハ京畿道楊州郡廣積面遇古里七六番地ノ本籍地ニ於テ、

 大正五年九月二十日戶主李コト李弘洙ノ三男ニ生レ、

 十二歲ノ三月本籍地ニ在ル模範啓蒙書堂ノ四年生(註、 普通學校程度)ヲ修業シテ

實家テ農業ヲ手傳ヒ昭和十五年一月カラ同年九月迄本籍地遇古里ノ第一區長ヲ勤メマシタ。

昭和十五年十月京城府蓬萊町一丁目ノ私設朝鮮無線工學講習會ラヂオ科ニ入所同十六年九月同修了、

 同年十一月カラ翌十七年一月迄府內樂園町ノ光興電氣商會ノ技術員トナリ

昭和十七年二月六日府內貞洞町二番地ノ朝鮮放送協會技術員

トナリ爾來同協會事業部保修課ニ勤務シ今日ニ至ッテ居リマス。

 

 

問 オ前カ之迄短波受信機テ聽取シタノハ。

答 昨年二月中旬頃當時保修課勤務ノ技術員金本鍾浩ノ短波

コンバーターヲ府內蓬萊町四丁目ノ同人ノ下宿ニ於テ聽取シタノカ初メテ其ノ後

同年五月保修課檢定係ニ於テ同室勤務技術員申相雲コト平山相雲ノ短波コンバーターテ聽取シマシタ。

最後ニ昭和十七年十二月一日カラ同五月頃迄保修課ラヂオ相談係ノ室ニ於テ同課勤務ノ技術員山田國男等

ト夜勤ノ際、 精乳舍所持ノオールエフト云フ全波受信機ノ短波部分テ重慶ヤ桑港等ノ短波放送

ヲ聽キマシタ。 尤モ此時ハ金原健二ノ短波コンバーターモ同時ニ聽取シマシタ。

問 其內敵國側ノ謀略放送ヲ聽取シテ他人ニ語ッタノハ。

答 金村炳昱、 高山得濟、 豊田實、 松河一郞達テアリマス。

是等ニハ主トシテ桑港カラノ鮮語放送內容ヲ語リマシタ。

問 然ラハ先ツオ前カ短波受信機テ聽取シタ狀況カラ陳述セヨ。

答 先ツ金本鍾浩ノ短波關係カラ申上ケマスカ私カ金本ノコンバーターヲ

聽取シタノハ昨年二月中旬頃ノコトテアリマス。

 

前述ノ如ク私ハ昨年二月六日ニ朝鮮放送協會技術員ニ就職シ、 初メ

保修課倉庫修理係ニ勤務シタカ當時同室ニ勤務シテ居タ金本鍾浩ヲ先輩トシテ

面識シタノテアリマスカ、 此金本鍾浩ハ當時府內蓬萊町四丁目一八八番地

ノ九號李丙浩方ノ當時保修課勤務ノ技術員權慶敦ト一緖ニ下宿シテ居リマシタシ、

私ハ當時府內蓬萊町四丁目二九四番地ノ二十號ニ同期生テアリ私ヲ保修課ニ

推薦シテ吳レタ金村炳昱ヲ下宿サセテ居タノテス。

處テ私カ就職後間モ無イ昨年二月中旬頃ノ事テス。 午後四時退勤歸路途中同行

ノ金村カ權慶敦ト同シ慶北出身テアル處カラ寄ラウト云フノテ一緖ニ行ッタ處、

 當時同宿中ノ金本モ居テ其室ニ置イテアッタ短波コンバーターヲ

調整シテ音樂ヲ聽カシテ吳レマシタ。

ラヂオハ四球コンバーターハ三球カ四球位テシタ。

 

私ハ短波機械ハ初メテノ事テ普通ノラヂオハ一ツテ

聽ケルノニ之ハ二ツテ聽ク妙ナ事ヲスルナト不審ニ思ッテ聽イテ見ルト之ハ

短波コンバータート云フテ外國ノ放送カ這入ルノタト金本カ說明シテ吳レタノテ、

 初メテ夫レト判ッタノテスカ其時ハ三十分程外國ノ音樂ヲ聽イタ丈ケテ歸リマシタ。

 金本ノ機械ハ此時一回丈ケ聽キマシタ。

 

問 其時聽取シタノハ誰々カ、 調整ハ誰々カ。

 

答 聽取シタノハ私共カ行ッテ五分カ十分權慶敦カ遲レテ歸ッタカ

當時權ハ金本ト一室ニ同宿シテ居タノテ聽取シタノハ金本鍾浩、 權慶敦、

金村炳昱、 私(松山高吉)ノ四人テアリマス。 調整ハ金本鍾浩一人テアリマシタ。

 

問 其時トウ云フ音樂ヲ聽イタカ。

 

答 私ハ音樂ノ事ハ詳シク無イノテトウ云フ曲目トハ區別カ出來ヌカ

普通ノラヂオテ、 京城邊リテハ聽イタ事ノ無イ外國カラノ音樂

テアッタト云フ記憶カアリマス。

 

問 立寄ッタ要件ハ。

 

答 當時金村炳昱ハ私方ニ下宿シテ居タカ同僚方テハ

窮屈タシ隣家ニ恰度空部屋カアッタノテ、 同鄕ノ權慶敦ト一緖ニ其家ヘ

轉宿シヤウト其話テ出懸ケタ樣ニ記憶シマス。


問 平山相雲ノ短波關係ハ。

 

答 平山相雲ノ短波機械ハ四球ノコンバーターテアリマシテ之ハ

何日作ッタモノカ判リマセヌカ私カ知ッタノハ昨年五月十日頃カラノ事テス。

私ハ昨年五月一ケ月ハ殆ント檢定室ニ勤務シマシタカ、 初メノ月初メニ行ッタ際ハ恰度當時

ノ主任西原稔カ其前月ノ四月二十六日カ二十八日ニ其父カ死ンタトカ云フ事テ仁川ノ實家

テ歸ッテ居タノテ一週間カ十日程塩浦博カ其間補勤ニ來テ居タノテ其間

平山相雲ハ短波機械ハ持ッテ來テ居ナカッタカ、

 

五月十日頃ニナッテ西原稔主任カ出勤スル樣

ニナッテ間モ無ク申相雲カ風呂敷包ミニシテ、 前述四球式短波コンバーターヲ

持ッテ來テ之ヲ檢定室ニ設置シテ晝間ノ短波放送ヲ聽イテ居タノテアリマス。

問 平山相雲ハ檢定係テトウ云フ風ニシテ短波機械ヲ聽取シテ居タカ其狀況ヲ詳細ニ述ヘヨ。

答 私ノ檢定室勤務ハ前述ノ如ク昨年ハ五月一ケ月間丈ケテアリマスカ、 當時ノ勤務時間

ハ午前八時カラ午後四時迄テアリマシタ。 又平山相雲カ短波コンバーターヲ抱ヘ込ンタノハ

忌引々竉中ノ西原稔主任カ出勤スル樣ニナッタ後ノ五月十日頃カラト思ヒマス。

ソシテ其時分ノ事テスカ檢定係ハ事務室ノ二室ニナッテ居テ檢定室ハラヂオ

納品檢定ヲスル關係上從來ハ地下線丈ケテアッタ室內アンテナカ

必要タト云フノテ、 態々西原主任カ室內アンテナヲ張ラシタノテ

私モ夫レヲ手傳ッタノテスカ其際申相雲ハ自分ノ短波ヲ事務室

テモ檢定室テモ聽ケル樣ニスル爲メニ態々檢定室ノ室內アンテナヲ

事務室迄延長シテ來テ事務室ニモ室內アンテナヲ張リ廻ラシタノテアリマス。

 

斯樣ニシテ置イテ一方當時松下電氣ノ納品中カラ刎ネタ高周波

二段ノスーパート思フカ夫レカアッタノテ此スーパート室內アンテナトニ連結

シテ短波コンバーターテ短波放送ヲ聽取シテ居タノテス。 聽取シタ時刻ハ區々テ必スシモ一定

シナカッタカ暇々ヲ見テ懸ケテ聽イテ居タカ晝食時間ノ正午カラ午後一時迄ノ時間

ヲ利用シテ聽イタノカ一番多ウカッタ樣ニ思ヒマス。

之ハ初メ申相雲カ短波機械ヲ抱ヘテ來ル一兩日前ト思フカ、

 津村保修課長カ短波取締ニ就テ一場ノ訓示カアリマシタ。

 

其直後ノ事テハアリ、 西原主任モ申相雲カ抱ヘ込ンタ事ヲ見咎メテ注意シタノテシタカ、

申相雲ハ夫レニ對シテ一度聽イテ毁ソウト思ッタト言譯シテ居ル樣テシタカ申相雲ハ

敢ヘテ毁シモセス、 其後モ檢定係テ繼續シテスット聽イテ居タノテス。

主ニ晝食時間ヲ利用シタノハ西原主任カ晝食ニ自宅ニ行クノテ此隙キヲ覗ッタモノヽ樣テシタ。

又此コンバーターテ聽イタ短波放送ハ外國カラノ音樂放送カ主テアッタ事ヲ記憶シマスカ

其放送先ノ地名ヤ音樂ノ區別等ハ判リマセヌ。

斯樣ニシテ私カ檢定係勤務中ハ事務室ヤ檢定室ニ於テ短波コンバーターヲ聽取シテ居タノテスカ、

其後其機械カトウナッタカ私ニハ判リマセヌ。

 

問 當時檢定室ノ勤務者ハ誰々タッタカソシテ誰々カ其コンバーターヲ調整シタカ。

 

答 昨年五月當時ハ主任西原稔以下技術員申相雲、 東原正弘、

 夫レニ私(松山高吉)テアリマシテ其內西原主任ハ調整シタ事ハアリマセヌ。

 私ハ五月中旬頃申相雲カ機械ヲ持ッテ來テ間モ無イ頃、 聽取シヤウト思ッテ自ラ調整シテ見マシタカ、

却ニ六ケ敷クテ思フ樣ニ鳴ラス事カ出來ナカッタノテ調整一回丈ケテ其後諦メテ調整シマセンテシタ。

東原正弘ハ私トラヂオ講習會ノ同期生テスカ、 調整ニハ慣レテ居タ模樣テ時々手際ヨク

申相雲ノコンバーターヲ調整シテ鳴ラシテ居リマシタシ、

又申相雲ハ自分ノモノテ聽取ノ爲メニ持ッテ來テ居タノテスカ同人カ一番多ク

調整シテ居ル事ハ勿論テアリマス。

 

問 昨年十二月精乳舍ノオールエフテ外國カラノ放送ヲ聽取シタ狀況ヲ陳述セヨ。

 

答 昨年十二月一日カラ同月五日迄五日間、 保修課相談所修理テ夜間勤務ヲシマシタ。

夜間勤務ハ午後二時カラ同九時迄テ午後四時晝間勤務者ノ退勤後ハ夜間勤務者ノミカ同九時迄居殘リ

勤務ヲスルノテ 其期間ハ三、 四日ノ事モアリ五、 六日テ交代スル事モアッテ時々ノ便宜ニ依ッタノテス。

昨年十二月一日カラ五日迄ノ夜間勤務ノ際ハ山田國男ヲ責任者トシ、

以下洪鍾鎬、 金山安邦、 夫レニ私(松山高吉)ノ四人組テアリマシタカ、

此夜間勤務週間初ニ於テ山田國男ハ當時擔當シテ居タ精乳舍ノオールエフト云フ

舶來モノヽ全波受信機ヲ修理シタノテアリマス。

ソシテ夫レカ修理カ出來タノテ初メハ其機械テ居殘リ勤務時間中ノ午後

九時迄ノ間ニ桑港カラノ對日國語ノ謀略放送ヤ其他ノ外國カラノ

短波ニ依ル音樂放送等ヲ聽カシテ吳レテ居タノテスカ、

其內十二月四日頃ノ晚ト思フカ桑港カラノ半島向ケ鮮語ニ依ル特種放送カアルト云フノテ、

其晚ハ一時間丈ケ餘計ニ居殘ッテ其放送ヲ聽取シタノテス。

ソシテ其翌晚モ聽コウト云フ話カアッタカ寒イカラト云フノテ

國語放送丈ケテ歸ッタノテアリマス。

 

問 スルト其夜勤週間ニハ何處々々ノ放送ヲ聽イタノカ。

 

答 私ノ記憶テハ十二月四日頃ノ晚ニ鮮語放送ヲ一回聽キ、

其晚ト其前後夜ニ亘ッテ國語放送ハ三回程聽イタト思ヒマス。

何レモ桑港カラノモノテス。 其外々國カラノ音樂放送モ短波部分テ

聽イタノテスカ重慶放送ハ聽イタカトウカ明瞭テアリマセヌ。

 

問 鮮語放送ヲ聽イタ狀況ハ。

 

答 其晚ハ前述ノ如ク昨年十二月四日頃テアリマシテ、 山田、 洪鍾鎬、

 金山安邦、 私(松山高吉)ノ四人カ夜間勤務ノ當番テシタカ其外ニ其晚金原健二、

 水田淸一カ參リ合計六人タッタト思ヒマス。 然シテ其晚金原健二ハ自分ノ作、

 眞空管ハ五七、 五六一二A、 一二Fノ四球式ト記憶シテ居ルカ夫レヲ自宅ノラヂオテハ

性能カ判ラヌカラ性能ヲ試スト云フノテ午後七時頃カラ夫レヲ抱ヘテ來テ、

私共カ夜間作業中ノ相談所修理ノ修理臺ノ上テ高級二號ト協會テ

銘打ッテ販賣シテ居ル高周波二段ノ五球ラヂオカ聽取者カラ修理ニ持込

マレテ居タノテ、 連レニ連結シテ短波放送ヲ聽取シテ居タノテアリマスカ、

金原カ聽取シ出シタノテ夜勤者ノ方テモ洪瑾鎬カ津村保修課長席ノ背後ノ

卓上ニ在ル精乳舍ノオールエフヲ調整シテ其短波受信機テ音樂ヲ聽キ初メタノテス。

ソシテ金原ノ機械ハ金原自身テ精乳舍ノ機械ハ洪瑾鎬、 金山安邦カ調整シテ

音樂等ヲ容レテ聽イテ居タノテス。 夜間勤務ト申シテモ大シタ仕事カアル譯

テハ無イノテ、 金原カ來テカラハオ互カ夜勤者モ一緖ニナッテ短波ヲ鳴ヲシテ聽イテ居マシタ。

其內ニ水田淸一モ遣ッテ參リ山田ハ金原健二ノ機械ノ調整ヲ直シタリト云フ風テ、

 何レモ仕事ラシイ仕事モセヌニ遊ンテ居タノテス。

其內ニ山田國男カ其處ニ居ル皆ノ者達ニ對シテ、 午後九時四十五分カラハ桑港カラノ

朝鮮語放送カアルカ、 此放送ハ今度ノ世界大戰ニ英米カ勝ッテ朝鮮ヲ獨立サセルカラ

朝鮮同胞ハ米英ト提携セヨト云フ却ニ興味アル放送テアルカ、 此ノ精乳舍ノ

機械ハ感度モ好イシ、 殊ニ金原モ自分ノ短波ヲ持ッテ來テ居ル事タカラ一緖ニ十時迄居殘ッテ

其放送ヲ聽イテ見樣テハ無イカト提言シマシタノテ皆モ夫レニ贊成シテ居殘ッタノテス。

ソシテ午後九時過キカラ鮮語放送直前頃迄ノ桑港カラノ國語放送ヲ聽キ、

次テ鮮語放送モ聽イテ午後十時少シ過キニ解散歸宅シマシタ。

 

問 其晚ノ放送狀況ハ。

 

答 先ツ鮮語放送ノ狀況カラ申上ルト九時四十五分

カッキリニ初マリ初メ、 レコード一枚位ノ音樂放送ニ連レテ鮮語ノ歌カアリマシタカ歌詞

ハハッキリシマセヌ。 夫レカ終ルト直クニ此方ハ桑港放送局テアリマスカ

朝鮮ニ居ル同胞ノ皆樣御變リアリマセヌカト冒頭シテ鮮語ノ話ニナリマシタカ、

 其話ノ槪要ハ次ノ如クテス。 「今度ノ世界大戰テ初メハ米英側カ旗色カ若干惡カッタカ

米英ノ聯合國側ハ國大キイシ、 物資モ豊富テアリ從ッテ新シイ武器モ多イノテ長期戰

ニナレハナル程有利テ現ニソロモン方面ニ於テモ聯合軍ハ日本ノ飛行機ヤ軍艦等ヲ

多數損耗サセツヽアルノテ、 結局ハ聯合國ノ勝利ニナッテ此戰爭ハ終局ヲ告ケルカ、

平和克服ノ曉ハ朝鮮ヲ獨立サセルカラ、 此戰爭テ聯合軍カ日本擊滅ニ進攻シタラ

在鮮同胞ハ聯合軍ニ協力シテ日本ヲ打倒スル樣、

在米臨時政府ニ要請シテ居ル。

然シテ聯合軍ノ日本々土進攻作戰ハ一擧ニ日本々土ヲ攻略スル計劃ノ下

ニ目下着々其準備ヲ進メラレツヽアルノテ、 其ノ實現ハ必ス近キ將來ニ在ルト思フカ、

其計劃ニ依ルト多クノ飛行機ヲ戴セタ航空母艦ヤ戰艦多數テ編成シタ大艦隊テ其主力カ

日本ヲ攻擊スルト同時ニ、 朝鮮ノ港々ニハ武器ヲ用意シタ艦船ヲ送リ、

又飛行機カラ爆藥ヲ落ス樣ニナッテ居ルカラ在鮮同胞ハ豫テカラ此事ヲ知ッテ居テ、

 其際ハ聯合軍ト緊密ニ連絡協力シテ彼等ノ上陸ヲ援ケ、 ソシテ其與ヘラレタ武器ヲ取ッテ

在鮮同胞ハ擧ッテ一齊ニ立上リ、 內亂ヲ起シテ電信電話ヲ切リ食糧軍需倉庫等ヲ壞シ、

一擧ニ日本ヲ叩キ潰シ以テ吾等ノ素志ヲ貫徹セネハナラヌ」ト大體以上ノ如キモノテシタ。

次ニ國語放送テスカ之ハ三回程聽イタケレトモ單ニ聯合軍側カ勝ッテ日本軍側カ

敗テ居ルト云フ、 日本大本營ノ發表トハ全然反對テハアッタカ、

戰況ニュースカ殆ントテアッタ爲メニ鮮語放送程ノ興味ヲ惹カヌノテ記憶モホンヤリシマスカ、

國語放送ノ方テ憶ヘテ居ルノハ「ソロモン方面ニ於テ空中戰テ日本ノ飛行機ヲ數十臺擊墜シ、

 又軍艦モ數隻擊沈シタカ聯合軍ニ損傷ナシト發表シテ居マシタ。

放送內容テ記憶ニ在ルノハ大體以上ノ如キモノテシタ。

 

問 其晚ハ精乳舍ノ機械ト金原ノ機械ノ雙方共聽イタノカ。

答 ハイ。 ソウテス。 初メカラ桑港ノ國語放送迄ノ間ハ其雙方ヲ聽イテ居リマシタカ尤モ

興味アル鮮語放送ヲ聽ク時金原ノモノハ金原カ精乳舍ノモノハ山田カ調整シテ同シ放送ヲ入レタノテスカ、

金原ノコンバーターモ聽コヘルニハ聽コヘルカ感度音質共ニ舶來ノ精乳舍ノモノニハ及ハヌノテ、

 金原丈ケカ相談所修理ニ自分ノ機械ヲ持ッテ一人殘リ、 外ノ者ハ總テ課長席裏ノ精乳舍ノ

機械ノ處ニ集マッテ其機械テ聽取シタノテス。

 

問 オ前ハ其精乳舍ノ機械ヲ調整シタカ。

 

答 ハイ。 私モ二、 三度調整シテ外國ノ音樂ヲ聽キマシタカ鮮語放送ヲ聽ク晚ハ

山田ヲ初メ洪瑾鎬、 金山安邦カ調整シタノテ私ハ殆ント手ヲ觸レナカッタカ其前夜トカ其翌晚等、

チヨイ〳〵調整シテ外國ノ音樂等ヲ容レテ聽キマシタ。

コンバータート異ッテ此オールエフノ調整ハ樂々誰ニテモ出來ルノテ、

 私モ此夜勤務時間ニ調整スル樣ヲ見テ居ッテ私モ覺ヘタノテアリマスカラ遣ッテ見マシタ。

問 短波受信機テ聽取シタ放送內容ヲ他人ニ語ッタ狀況ヲ陳述セヨ。

答 私カ短波機械テ聽取シタ敵國側ノ放送內容ヲ語ッタノハ金村炳昱、 高山得濟、

豊田實、 松河一郞等テアリマスノテ之等ニ就テ以下陳述致シマス。

ハ昨年四月蓬來町四丁目二九四番地ノ二十號カラ現在ノ城北町一七七番地

ノ二五號ニ轉宅シタノテスカ、 權慶敦ト蓬萊町ノ私方ノ近クニ居タ金村炳昱ハ

昨年十月頃權慶敦ト別レテ、 府內桂洞町一四〇番地ノ六二號ト思フカ同鄕人洪瑾鎬方ニ轉宿

シタノテアリマス。 處カ桂洞町ニ移轉シテカラハ時々私方ニ遊ヒニ遣ッテ來テ居タノテ十二月六、

 七日頃ト思フカ私カ夜勤週間ヲ終ヘテ間モ無ク夜間遊ヒニ遣ッテ來タ時ニ

午後七時頃カラ同九時頃迄居タノテ、

私ノ居室タル內房テ私ハ金本ニ對シテ前述夜勤ノ際ニ桑港カラノ鮮語放送ヲ

聽イテ私ハ少カラス昻憤シテ居ル時テシタノテ其經緯ヲ金村ニ話シマシタ。

夜勤ノ際聽イタ事中、 其聽取シタ鮮語放送ノ內容等總テ一通リ語ッタノテアリマス。

スルト之ニ對シテ金村ハ「ソウ云フ放送カアルラシイ事ハ自分モ知ッテ居ルカ、

 此放送ハ急ニ日本ヲ攻メタ時協力スヘキ朝鮮人カ皆逃ケテハ困ルカラ、

豫メ其事ヲ在米朝鮮獨立運動者ノ連中カ通告シテ置イテ、 朝鮮ニ內亂ヲ起サセタリ、

 米英軍ニ協力サセタリシテ日本ヲ倒ス準備ノ爲メノ樣ニ解釋サレルノタカ、

何レニシテモ斯樣ナ事ヲ迃闊ニ饒舌リ居ルト酷イ目ニ遭フカモ知レヌカラ好ク

相手ヲ見テカラニセヨ」ト注意シテ吳レタノテ其後金村ニハ話シテ居リマセヌ。

次ハ高山得濟トノ關係テスカ高山ハ京城ノ者テ無線工學講習會ノ同期生テ

優等テスカ私ト餘リ懇意テナイノテスカ昨年十二月中、 私カ鮮語放送ヲ聽イタ後ニ

高山ト二人テ夜勤ニナッタ時ノ事ノ樣ニ思フノテスカ其時、 私カ高山ニ鮮語放送ヲ聽イタ事ニ就テ

其經緯ト放送內容ヲ話シタ事カアルノテスカ、 夫レニ對シテ高山ハ

迃闊ニ左樣ナ事ヲ饒舌ルモノテ無イト注意シマシタ。

次ハ豊田實ト松河一郞ノ關係テスカ之ハ本年五月三、 四日頃松河一郞カ府內八判町カラ

兄弟連レテ私方ニ轉宿シテ來テ間モ無イ頃、 私ハ松河ニ話シタカ豊田實モ又其頃松河一郞ヲ來訪

シテ來タカ、 松河カ不在タッタノテ私方テ話テ行ッタ時ノ事テスカラ何レカ先カ後カハッキリシマセヌ。

松河トノ話ト云フノハ私カ金原健二ノ關係テ取調ヘヲ受ケル前頃ノ事テスカ兎ニ角五月初旬、

松河カ轉宿シテ來テ間モ無イ頃ノ事テス。 タマ〳〵夕飯ノ際二人ノ間ニ短波事件ノ話カ出テ、

其際私ハ松河ニ對シテ自分ハ金原ノコンバーター中精乳舍ノ機械テ

桑港カラノ鮮語放送ヲ聽イテ居ルノテ心配タト語リ、

松河モ洪瑾鎬ト一緖ニ聽イタノテ氣懸リタト語リ、 結局短波放送ヲ聽イタ事ノ內容ニ就テ、

私ハ松河ニ自分カ聽イタ桑港カラノ鮮語放送ノ內容ト云フノハ

「英米聯合軍ハ今度ノ世界大戰テ勝ッテ朝鮮ヲ獨立サセルカラ

朝鮮同胞ハ聯合軍カ日本ニ攻メテ來タラ之ト協力シテ日本ヲ叩キ潰セ」

ト云フノタト云フト、 松河モ「俺ノ聽イテ居ルノモ凡ソヽウ云フモノタ」ト語ッテ居リマシテ、

結局打明ケテ見ルト同シ樣ナ放送ヲ聽イテ居タ譯テアリマシタ。

又豊田實ニ對シテハ其頃夕方五時カ六時頃、 松河ヲ訪ネテ來タカ、

不在テアッタノテ私方テ九時頃迄居リマシタカ、 其際短波事件ニ就テ

豊田カ早ク解決シテ吳レヌトキツイト云フノテ私カ君モ關係カアルノタラウト、

六年モ勤メテ居ルノタカラト云フト豊田ハ俺ナンカソンナ馬鹿ナ事ヲスルカト答ヘタノテ、

私ハ自分ハ金原ヤ精乳舍ノ機械テ桑港ノ鮮語放送ヲ聽イタ事カアルノテ

困ッテ居ルト語ッタ事カアリマス。 夫レ丈ケテス。

 

問 其外ニハ。

 

答 短波事件ニ關係アルモノトシテ山田國男ハ短波受信機ヲ持ッテ居ルト思ヒマス。

 其理由ハ昨年十二月初、 夜間勤務テ鮮語放送ヲ聽イタ翌晚、

金山安邦カ今夜モ殘ッテ鮮語放送ヲ聽イテ歸ラウト云フタ際、 コンナ寒イ晚ハ早ク歸ッテ家ノ

短波ヲ聽ク。 急イテ歸ッタラ桑港ノ鮮語放送時間ニ間ニ合フト云フテ居マシタ。

又豊田峘モ持ッテ居タト思ヒマス。

夫レハ去ル三月初メ山田國男カ今度ノ事件テ檢擧サレル直前頃ニ金村炳昱カ退職歸鄕スル事

ニナッテ其時金村カ豊田峘方ニ行ッテオ別レニユックリト短波ヲ聽イタリ、 將棋ヲ差シタリシテ遊ハウト

私ヲ誘フテ、 私ヲ夕方七時頃カラ豊田方ニ遊ヒニ連レテ行キマシタカ、 其時豊田ハ去ル

二月末頃酒ニ醉ッテ歸リニ東小門交番テ檢問サレテ名剌ヲ取ラレタカ、

二度目ノ事トテ脅ヘテコンバーターヲ毁シタト云フテ其時聽ク事カ出來ナカッタカ、

 之カラ考ヘテモ豊田ハコンバーターヲ持ッテ居タラウト思ヒマス。

 

問 金村炳昱ハ現在トウシテ居ルカ。

 

答 金村炳昱ハ舊名金炳昱今年二十七歲、 現在保修課ノ技術員東原正弘、

高山得濟、 金森武弘、 金山碩潤、 平山南洙ヤ私トハ朝鮮無線工學講習所ノ同期生テアリ、

 又洪瑾鎬、 權慶敦、 塩浦博、 琴川時淵等トハ同シ慶北出身テ親交アリ、

殊ニ私ヤ琴川ハ金村ノ世話テ保修課ニ就職シタノテアリマスカ、 妻カ病身ノ處カラ

本年三月五日ト思フカ退職シテ慶北奉化郡明湖面高甘里ニ歸鄕農業シ、 妻ハ慶北安東ノ

道立病院ニ入院サセテ居ルトノ事テス。

右本人ニ讀聞カセタルニ相違ナキ旨申立テ署名拇印シタリ。

 

 

供述者 松山高吉

 

작성일昭和十八年七月五日

 

신문자京畿道警察部

司法警察官事務取扱

朝鮮總督府 京畿道巡査 馬渡直治

입회인立會人 朝鮮總督府 京畿道巡査 南昇熙

 

[출처 : 국사편찬위원회 한국사데이터베이스 http://db.history.go.kr]

 

 

 

 

 

 

 

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이근창선생님의 애국애족 정신을 존경합니다.